東京駅頭にて

2012/04/17

野沢正光建築工房 野沢正光


先日ブログに書いたものを FORUMに再録させていただきます。建築を作ることは結果としてその時代の証言を作る、そして優れた建築は時代を超 える普遍をも語る。人が「もの」を工夫する、作ることの芯にある「独創」は次々に時代をつなぎながら私たちの今の「刺激」になっていると思うので す。つなぐことが切断されたり、変質、捏造されたりすることが次を作ることを妨げる、そのことが平気で行われている、そうした危惧を深く抱くので す。


東京駅頭にて

昨日 友人との待ち合わせで東京駅の丸の内側に出た。東京中央郵便局の一皮だけの姿が痛々しい。遠望ではあるので感違いかも知れぬががどこか新築 のような ファサードの白さが気になる。吉田が注意深く決めたあの幾分乳白がかったタイルが妙に平滑にみえる。まさか総貼替えしてはいないだろうが。遠くか ら見ると ころ時計の針が取り付けられていないだけ、ほぼ完工にみえるが、吉田がデザインした入口上の「中央郵便局」のロゴの当時のままの復元はあるのだろ うか。内 部にはあの黒い八角形の列柱は存在しているのであろうか。

振り返ると東京駅。仮囲いが一部を残し外され姿が現れつつある。貼ったばかりの銅版が光 る。これは時間がたつにつれ落ち着くのであろう。ただ、新たに復元された三層部の赤レンガの面が一二層と違った見え方をすることが気になる。明 らかに平 滑なのだ。二層目との間に線がある。数年前、芸大の陳列館で「JRのデザイン」のいったタイトルの展示があった。その折に東京駅舎復元計画の断面 図があり この第三層がレンガ積みによる復元ではなくレンガタイルによるものであることが見て取れたのである。この結果ではないかと思うがいかがだろ う。。復元 後、重要文化財指定することが決まっていることと復元の手法は極めて大きな関係があるのではないか、オーセンティシーとは??との感を抱く。是で よいので あれば ひょっとすると全館再建、レプリカの三菱一号館の重文指定などということすら起こりかねぬのかもしれぬ。

既に完成し供用を開始している中央口室内のトラバーチンの内装は全く過去の臭い、復元の気配のないそっけないものであった。 2月22日



再び東京駅頭へ

昨日 休日であったが事務所に。用務が終了後 汐留へ昨日が最終日の 今和次郎の展覧会に出向いた。既に今回刊行されたカタログを見ていたし、 「日本の民 家」などの書籍や文庫本化されたものなどにより知るものも多くあるが資料のオリジナル、本物に触れることの興味深く驚きの時間であった。。その後 帰宅のた め東京駅方面に向かう山手線に乗る。東京駅に差し掛かるところで車窓から東京中央郵便局の姿が見えた。仮囲いの向こうに外壁工事中の部分が見え る。正面向 かって左側、ファサードが回りこむあたりである。明らかに新しいタイルを貼っている。これを確認することをもくろみ下車。目前にしたのは明らかに 新しい躯 体に新規のタイルを貼ると言うものであった。行われていたのはコンクリート下地にメタルのガイドを付けそれにタイルを引っ掛ける、まことに今日的 施工であ る。この部分は一度コンクリート躯体を解体し修復した部位であろうか。但し使われているタイルは既に現れたファサード全体を白く極めて均一に覆う ものと まったく同一である。つまりどこかにオリジナルの部分がありそれとの違いが見えるという部位が全くないのである。先日のきわめて悪い予感、危惧を 確認する ことになった。「復元された」ファサードは全て新規に作られた、「フェイク」である。白々とした偽物である。本物の姿を借りているだけなおたちが 悪い「詐 術」のようなものである。保全されたような形を当初とりながら(確かに解体当時、ファサードは一時残され一見保全されているように見えるときが あった)こ のようなことであれば中に8角形の断面の黒い列柱があるはずもないではないか。東京の顔、東京駅の目の前の記憶の継承がこのようなことでタイルに よるとは いえ「書きわり」で良いのであろうか?本物を知らない人々がこれを見て吉田鉄郎の仕事であるとおもう、そのことを嘆く。

東京駅の復元部がレンガ タイルであり平滑であることも確認した。これもどうしたことであろう。これでよいのか、もっと誠実な手段はなかったのか。皮肉に見ればここでは明 らかに 「新築部」と「既存部」に違いが見える。既存部を尊重し新築部を明らかなフェイクとして作った、と見えるのだ。但し、これも東京駅という竣工後重 文にしよ うと言うモニュメントをそのような意図で再現したとは考えにくい。とすれば「これでいいのだ」という復元設計者の明らかな「眼力」の結果ではない のではな いか。ディズニーランドのような復元がまかり通る、このことが私たちの鑑賞力のなさ、審美眼の欠如、歴史に対する敬意の不足を表示している。 3月26日