奥村まことのブログ 吉村順三先生に学んで

 

手帳 1968年3月2日       

2015年11月

学園に要求されるものは

もちろん各目的を満足させる

各建物の建築的空間を第一

とするが学校としてのまとまりか

ら云えばそれらの建築空間の

集合する空間(あるときは広間で

ありあるときは建物と建物がそ

の間に創りだす空間である。

学校にもっとも重要なものは

環境である

愛知芸大に求められるものは

学校運営のために能率的な

事務所、美術学部では何より

充分なよい光であり音楽学部

では音響の問題である

よい環境は学校の人々の

精神を高揚する そして

のびのびした自由な空間を

必要とする。

日本人のものわかりのよさ

変化に富んだ

狭い国土細やかな完成した

風景一見して総てがある

(N.W. シカゴ 3.2)

愛芸 威圧する高さはない

学校は技術とともに人間

を守るところ、

学ぶ こけ驚かしや見せかけ

のにせものがあってはならない。

創作の悦び至るところに空間がある

自由

学生のクラブ

至るところに自然とのつながりがある

ピロティーは自由の無限を暗示する。

これは1968年に書かれたものです。3月2日 Northwest Airlines のシカゴからNew York に向かう機内で書いたのではないかと思います。


父の使っていた建材会社から毎年もらう小さな手帳が10数冊残っています。

何時も背広の内ポケットに入れていました。主にスケジュールと知人/友人の住所や電話番号を参照する為に使ってましたが、その中には計画中の建物のアイディアや考えのスケッチ、授業やスピーチ、あるいは手紙の下書きのような自分の考えのまとめのようなものがあらゆるページに書き散りばめられています。永橋為成さんはある時、先生が授業の時に小さな手帳を取り出して見ているのが気になっていた、そういうものお家にありますか?と言われました。これらの手帳のことを言われたのでしょう。

全部をつぶさに見たわけではありませんが、この手帳を見ると吉村順三の人となりがよく見えてくるように思えます。


愛知芸大の今あるキャンパスを手入れして大事に使ってもらいたいと私が思う気持ちは、この小さな手帳に書かれている事を読んで理解していただけるのではないかと思います。一つ一つの建物も大事だけれどそれらを総合し、周りの自然と融合した芸術を学ぶ教育の場所として考えられ造られているからなのです。当時の桑原愛知県知事、当時の東京芸大学長上野直昭先生、それに東京芸大の建築科も加わり、新設する愛知芸大の教育理念がそのまま反映されるようにキャンパスが創られたのです。長久手の丘陵地の地形も大きな役割を担ってます。

現在キャンパスを使っている学生たち、先生たちに創立時の学校の事をもっと知ってもらいたいです。これからの発展もそれを踏まえたものであってほしいと思います。


2015年11月 吉村隆子