キャンパスで学んだものとして

サイト管理者 篠田 望


私は、愛知芸大の「現場監理」(設計者が現場で建物が設計通りに施工されているか、工事の状況などを確認し、打ち合わせや指示をすること)が、設計者、吉村順三、奥村昭雄に任されていなかった、竣工後に起こったことも設計者に知らされていなかった、とは全く知りませんでした。殆どの卒業生は知らないと思います。

私が在学中の1985年頃、旧女子寮から大学までの道が暗く危険なので外灯をもっと増やしてほしい、と要望したことがあります。回答は、外灯も吉村先生がデザインされたものなので勝手に変えられない、というものでした。こんな回答なら誰だって建築家に不信感を抱きます。こういう回答が設計者とは関係なく伝えられてきたのです。

ユーザーである学生、教員、職員の声が少しでも設計者に届いて、応急処置ではなく少ない予算でも設計者の知恵で悪いところを直していれば、今の悲惨な状況は避けられたでしょう。

「有名な建築家の設計した建物だから大切に」と教えられた事が、「使いにくくても我慢」のように理解され、学生、教員、職員のキャンパスに対する愛情が薄れていったのかもしれません。私自身、在学中はキャンパスの建築的な価値など意識していませんでした。卒業して他の大学に行ってはじめて信じられない贅沢な環境で学生生活を過ごした事がわかったのです。

愛知芸大キャンパスは、今この施設を一時的に預かった関係者によって、設計を芸術にまで高めた建築家から、設計をビジネスとする企業に渡ったと感じます。

悪いところをリストアップしてそこを削除する、クライアント(愛知芸大の場合施設整備委員がクライアントだと勘違いしている)の希望を言われるままに盛り込む。予算をつけ、ものをつくることで地域が活性化すると考える。設計者と利用者の関係を断ち、企業活動を優先すれば、いくらお金を注ぎ込んでも芸術環境は育っていきません。

持続可能な社会のためにエネルギーを注ぐ今の時代、このデザインの方法は通用しないはずなのですが。。。この大学でどういうデザイン教育が行われているかを明らかにしたキャンパス計画だったと思います。

2012/03/10