芸術教育のヴィジョンを問いたい

      愛知県立芸術大学名誉教授 大谷茂暢


美しいそのキャンパスは建設された当初から注目され高く評価されてきました。しか

し今、この建物群はかなりいたんでいます。愛知芸大ではいかにお金をかけないで運

営するかが大きなテーマのひとつであり必要最小限の出費にとどめようとして整備が

しっかりされないまま年月がたってしまったと云えるでしょう。私は昭和47年から

平成10年まで27年間、愛知芸大で非常勤講師として「デザイン概論」と「デザイ

ンの基礎の研究」の2講座を担当し、平成10年から常勤教員となり平成19年に定

年で退職するまで、デザイン専攻の教員を務めました。その間、平成13年から平成

19年退職までの6年間は美術学部長職にありましたが、この35年のあいだ常に問

題として設置者である愛知県から提示されてきたのは運営費の削減でした。


いたんできた建物をなんとかしたいと、平成10年以前に大学では愛知県に全面的建

て替えの要望をだしているのですが、これは予算がないという理由で成立しなかった

と聞いています。県立大学のキャンパスが新装整備され、愛知芸大内ではつぎは自分

のところに整備の番がまわってくると期待をこめてささやかれていましたが、このと

きなぜ全面的建て替え案となったのか、このキャンパスの価値を大学がどのようにと

らえていたのかは不明です。新しいものほど望ましいとする考えが根底にあったので

しょう。戦後の日本をささえてきた消費形経済では高度経済成長が当然であり、それ

こそが善とされていたときの価値観です。


その後は「2005愛・地球博」を理由に愛知芸大の整備には予算の余裕がないとさ

れ、大学改革として国立大学の独立行政法人化の方針が国から示されると、愛知県は

県立3大学の独立行政法人化をめざし、すべての案件は法人化後に取り組むとの考え

をしめしました。それにより愛知芸大での緊急対策以外の補修・保全工事は先送りす

るとされたのです。


平成19年の独立行政法人化と同時に大学はふたたび全面的建て替えを計画し、秋の

教員展に施設整備委員長がその計画案を発表しているのですが、これもまた県からは

認められず、緊急対策であるとしてその1部分である新音楽学部棟の建設が認められ

現在工事が進行中です。しかしその結果のキャンパスは私達が親しんで来たものから

おおきく変わってしまいます。国内外から価値あるものと高い評価をうけてきた建物

群による内外の空間は年月とともに自然と融和し美しい芸術教育の場をつくっている

と思います。これを破壊しないで将来への展開を計画することは、今、求められてい

る「持続する社会」の具現化です。芸術大学が取り組むべきテーマでしょう。


なぜ、この社会情勢のもとでふたたび全面的建て替えを計画したのか。これが大きな

疑問です。大学は発表した計画案は今後の教育現場として必要なヴォリュームを示し

たにすぎないと説明していますが、そのためだけに多額の外注費を払う様な支援業務

が必要だったのでしょうか。進行中の新音楽学部棟建設場所はこの計画案にある、ま

さにその場所なのです。ヴォリュームを示しただけのものではないでしょう。今まで

の建物の改修増築の方向は当然あるのですからそれに目を向けない、その検討すらし

ないという明確な意思があったとしか思えません。


そして平成23年度になってキャンパスマスタープランを検討する委員会が発足した

のですからものの順序がおかしいのです。ここになにかちがう世界を感じるのです。

文化がちがうのかな、もしかしてといいたい。


今の建物群について教育の現場からの判断と評価があるのは当然です。時とともに、

社会通念と価値観も変化するでしょう。時代に即した改善は必要です。それが適切に

行われてこなかった。その補正のためでしょうか、美しく歴史を創って来たキャンパ

スを変えてしまおうとしているのです。


芸術の本質は「美」です。芸術にかかわる教育の場であるからこそ、「美」を求めた

先人の行為と努力への尊敬をもって今後の計画をおこなってほしいと望みます。と同

時にこれからの芸術教育をになうはずの愛知芸大の教育への、社会へのヴィジョンを

問いたいのです。問わざるを得ない状況です。



よいデザイナーのまえによい消費者であれ


常に素人であれ、偉大な素人であれ

2012/03/19